目に見えないものの定量化
キャッチーなタイトルが思いつかないけどもそんな感じで。
基本的に感情とかの目に見えないものを早く定量化してもらいたいものです。
今回は本当にメモ帳。多分二年後くらいにはこんなこと考えていたことを忘れそう。
幸せとは?というお話。
幸福を手にするための戦いは美しいものです チャールズチャップリン
1.結婚して子供が生まれて老後を看取って貰うこと
最近よく思うのがこれが幸せの定義の一つなのかな、と。
ただあくまで幸せの一つの形ではあると思いますし、結婚して子供がいても幸せであるかどうかは人による、のではないか
そもそも最近年齢的にもやはりそういう話も多くなってきて自分には縁がない(作っていない)なぁって
少なくとも私自身は結婚も子供も作ってはいませんが幸せになれるのかなって感じ
でも子供がいても幸せになり切れない人もいるし、熟年離婚とかもあるしどうなんだろう
2.使い切れないほどのお金を稼ぐ
趣味がたくさんあって、いくらあっても足りないと感じる20代後半。
ただジレンマとして、仕事に忙殺されることによって、時間がなくて使い切れないのか、時間もお金もあるけども、やりたい事がなくて使えないのかで前者は(目的がお金稼ぐ事であったりするのでない限り)不幸せともとれるし、少なくとも私としては後者は絶対的に不幸せかな、と。
お金はいくらあってもいいと思うが「使う」人じゃなくて「利用」する人になりたいものだ
3.やりたい事をやる
幸せだけど、そもそもやりたい事がない人からしたらそれすら見つからないかもしれない
そもそも生きるということがお金がかかるので却下
4.健康である事
何事も体が資本だし、少なくとも健康であることは幸せではある
けれど健康はお金と時間が圧倒的にかかるし、何より健康になるための知識をつける時間とお金もまた、必要となる。
知識も必要だし、ほんと人生はままならん
5.複合的に考える
ここまで見て単一の記号では幸せではないという結論に独りごちるから、複合的に考えてみよう
1+2(結婚して子供が生まれて老後を看取って貰うこと+使い切れないほどのお金を稼ぐ)
いいですね、使い切れないほどのお金があって、家族がいて、子供もいる。
でもこれだと家庭を顧みない父親、という構図も見えてくるあたりどう言った人と結婚したか、家族としっかりコンセンサスを取れているのかとか考えてみると不幸せともいえる
悲観主義か
1+3(結婚して子供が生まれて老後を看取って貰うこと+やりたい事をやる)
家庭を持つ事が「やりたい事」であるならこの考え方も決して悪くないかも
ただやりたい事をやり続けると健康を損なう気しかしないんだけれど、どうだろう
悲観主義か
と、思考を繰り返して繰り返しみましたが、結局のところ要素として全てを満たさないと
「幸せ」
とは言えないのかな、って。
だからこそこういうことの幸せ値を定量化してほしみが深い
全てのベースとしてお金と時間があり、その上に健康と、やりたい事が乗っていてその上にさらに結婚して家族を持つ、という事が必要なのかな、と。
ぶっちゃけ最後はどうかなって。まぁいい人がいたらしたいね。
少なくとも私自身、お金も時間もなく、その上健康的とは言えず、やりたいことはたくさんあるが、結婚して子供を持つというビジョンが全く持てません。
結語
では、私は不幸せか、と言われるとそうとも言えないから困る
私自身一応今のところ体を壊して東京に戻ってきて転職しているみでも、向こうにいた時も不幸せだったかと聞かれたらそうでもない不思議。
最終的に幸せか、不幸せかを決めるのは自分自身なのだから、自分の思うようにやれる環境を作る事が20代のうちにやれる幸せへの道ではないかな。
こういう時有名な人からの文章でも引用して終わるといい感じな気がするね
世の中の人は誰でも幸せになりたいと思っている。それを手に入れる方法が一つある。それは自分の気持ちの持ち方を変えることだ。
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