人生切売論

雑記ブログ未満メモ帳以上

【スポンサーリンク】

働く男

本当の意味で私は働いたことがあるのだろうか。働くってどんなことをいうのだろうか。

 

私自身すでに社会人になって3年たとうとしている。ペーペーである。

だが勤労というなれば大学時代からバイトを行っているのですでに7年は「働いて」いるのであろう。

では働くとは?

 

生活のためにお金を稼ぐことも仕事

自分の能力を発揮できる場所で対価をもらうことも仕事

社会へ貢献することも仕事

 

じゃあこの中に入っていなければ仕事ではないのだろうか。

そういわれると答えは否である。

 

そんなことを思わせてくれる本と出合いました。

 

働く男 (文春文庫)

働く男 (文春文庫)

 

 まぁ正直だいぶ変な本ではあると思いますw

 

私と星野源の出会いは実は私のサイレントリスナーをやっているひいきびいきというPodcast番組で紹介されているのが初エンカウントだった

 

その時から何だこの変な人wだったり、変人やなぁという感想しか持ちえなかったがこの人の生きざまがあまりにもかっこよすぎたので段々と沼にはまっていくことになってしまった。

そんな人のエッセイでもあるし、コラムでもあるし、小説でもあるし、自叙伝でもある本の話が今回のブログテーマである。

 

まずこれを執筆している時点では星野源は病気を発症していませんでした。

しかしこの本の執筆後(中?)にくも膜下出血になり、仕事を休養することになっている。そしてそのくも膜下出血によって考え方がまるで正反対になっている。まさにありからキリギリスになったようである。怠け者という意味ではなく容量のいいという意味で。

 

当初は仕事があればすべての仕事を受けて、休みなく働く人物であった星野源

しかしそのように働いていたため病気をしてしまい多くの人に迷惑をかけたことや、休んだことにより周りがよく見えるようになったのか以前ほどホリック的な仕事はしなくなったようだ。

正直私には休みなく働いている自分がかっこいいだとかは全く思うことがない。むしろ働くのは休みの期間に趣味をし、そのためのお金稼ぎだ。

 

まぁ私も考え方は変わって生きていて、最近は勤労に励むことが割と楽しくなっては来ている。余裕があるからね。

逆に余裕がなければ新しいビジネスに(このブログも一環)手を出そうなんて思わない。

 

そんな前書きが終わり星野源自体がしてきた仕事である映画のコラム(結構書き方は参考になるなぁって思いながら)を読み、以前寄稿していた小説の抜粋だったり、自分自身が影響を受けたものを書き連ねたり、解説ありでSAKEROCK時代のCDの開設などしていたりただの雑記本である。

 

ただ意外とこういうアーティストが自分の仕事に関してこう思った、こうやろうとおもった、こうやりたいって本がないことに気づく。それこそ自伝本みたいなことでもしないと無理だろう。

あの本自体も星野源にとっても自分の仕事が雑多なものになっていたものをまとめるという作業にもっていたのだろう。

 

そう考えるとこのブログものそのようなものである。

誰かのために書いているわけでなく私自身の考えを、とりとめもない考えをまとえるためにダラダラ書いているものである。

 

今現在なろう小説(いわゆるWEB小説)の文章力が低下しているという記事をどこかで見た。

その原因の一端に推敲をしないようだ。今のWEB小説家たちは。

まぁこのようなブログで推敲もくそもないが、本来は読む人が見やすいようにレイアウトするのが正しいのだろう。そんな技術もなければ(言い訳)やる気もない(本音)

確かに昔の小説家たちは紙に文章を書いていたし、情報量が濃いような言葉遣いや文章を書かなければ無駄にページ数が多くなってしまうという弊害もあった。

 

 文章力などは置いておいてここまで分厚くするか?って本

 

確かに今のライトノベルyなんかは会話の文章が多くいわゆる地の文章が少ない。

だがある意味現代的な意味で考えるので考えるならかっちりした学術的でもない本はスカスカの方が見やすいしみた気にもたしかになる。

 

どう考えるかは難しいが門徒が広いに越したことはないだろう。

 

閑話休題

 

頭から流れてくる文字をすべて起こそうとするとこんな感じで文章を書いてしまう。

そんなこんで星野源の働く男、非常に面白かったです。

 

面白いというよりも興味深い、ですかね

 

ではでは